2008年02月01日 21:50
4年半位前になるだろうか、ライフスクールの、あるクラスの中で
人間関係でのエネルギーのやり取りについての話になったことがあった。
当時の私は、過去の様々な出来事の中から
「自分は人からエネルギーを奪う人間に違いない」と思っていて、
そのクラスの中で、人からエネルギーを奪うこと
についての質問をしたことがある。
(どんな質問をしたか忘れてしまったけれど)
その時、由衣さんは、じ~ッと私を観察した後に、
オーラを見れば、奪う人間かそうでないかは分かるものだが、
あんたの場合は、【奪う】という自分の概念について、
見直してみた方がいい。
というような内容のコメントをくれた。
それから、私は、何をもって【奪う】と定義していたのか色々と
見つめる作業を進める中で、自分が【奪う】ことで起こっていたと
思われていたものが、実はそうではなかった事に気づいて
「へぇ~~」 と 目から鱗だった。
こんな風に、自分が「こうだ」思っているものは、
生育過程で見聞きしてきたことや、なんらかの経験の中から
「そうに違いない」と勝手に定義され、自分の辞書に書き込まれ、
その後何の検証もしないままのものが結構あるものだ。
自分を見つめる作業とは、実は間違っていたり、その当時には「正解」
であったことが、今となっては役にたたなくなっていたりする
自分専用の辞書の項目を検証し、廃棄すべきは廃棄し、
訂正すべきは訂正する作業といってもいい。
1月に入って、2008年のためにと、あるカードを3枚引いた。
出てきたカードは
「天の助けを受け入れなっせ~」
「受け取りなっせ~」
「あんたは受け取る価値があんねん」
って内容・・・・・
これを受けて私の反応はといえば
「え~~? 受け取ってると思うけどなぁ・・・・・」
受け取ってないから、3連発で「受け取れ」と言ってるんやーッ!
と、どこからともなく聞こえてきそうだった(笑)
そう、【奪う】と同じように、私の中の【受け取る】は検証される必要があるらしい。
最近は検証することが、ますます増えてきている・・・・
というか、一度に検証することが複数でやってくる感じです。
面倒だなぁ~と感じる時もあるけど、
検証して辞書の定義を書き換えた後には、
より楽な、より自由な道につながっていく。
たぶん、この検証をやめた時、
人間の成長というのは止まるのだと思う。
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